会社の沿革 |
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明治23年 | 初代岩ア清八が息子達をつれて昭島の郷地より立川駅北口(現本社所在地)に進出 米穀・肥料・小麦粉・雑穀・塩等の売買、精米精麦業及び倉庫業を目的として個人営業による岩ア商店開業 | |
大正 8年 |
大正にはいり人口が増加米の販売が主流となり業容も拡大。これに伴い同族4名による合名会社岩ア商店に改組。出資金は8万円であった。 |
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昭和14年 |
中国との戦争が激しくなってきたこの年に米穀配給統制法が公布され、以後運送業・麦類・雑穀が相次いで統制され営団化や企業合同することとなったが当社はどの団体にも属さず塩の販売だけを残して廃業した。 |
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昭和15年 |
不要になった米倉15棟をもって商工省より発券許可倉庫の許可を受ける。農林省指定政府米保管倉庫、陸軍省指定倉庫となり農林省の食糧や陸軍資材本廠の貨物を保管した。 |
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昭和18年 | 立川市錦町に支庫建設 | |
昭和19年 | 戦争が激化し、本土も空襲されるようになり建物の疎開が始まったが、当社の倉庫は陸軍の資材を保管していたので疎開を免れ幸運にも本社も倉庫も立川駅前に残ることができた。 | |
昭和23年 | 終戦後、会社の体制もこの頃になり整ってきた。 この年岩ア清重外6名の発起人と6名の株主により岩ア倉庫株式会社を設立 資本金を100万円とし合名会社岩ア商店を吸収合併した。 |
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昭和24年 | 八王子市子安町に八王子倉庫開設 増資により資本金120万円となる。 |
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昭和25年 |
麦類、雑穀、砂糖等の統制解除により売買業を復活、以後一般食料品を加え総合食品卸売業務を行う。 |
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昭和26年 | 食管法による米穀卸の会社として武蔵米穀卸株式会社が開業する。 | |
昭和28年 |
増資により資本金450万円となる。。 |
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昭和29年 | 米軍放出物資を保管するため立川市富士見町に東京税関保税上屋を開設する。 | |
昭和30年 | 米軍放出物資を解体仕分けする必要から保税上屋を保税工場に変更する。 (昭和36年に廃止する) |
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昭和32年 | 立川市栄町に鉄筋コンクリート造陸屋根平屋建1,084uの倉庫を建設(現砂川3号倉庫) | |
昭和36年 | 立川駅北口の曙町に立川ビルディングが竣工する。本社も入居、岩ア不動産株式会社との2分一の共同所有となる。テナントとして東京ストアー(高島屋の子会社)、第一勧業銀行立川支店、野村証券立川支店外9社が入居した。 | |
昭和37年 | 現立川市栄町3丁目の土地2,988uを取得する。(北立川倉庫用地) | |
昭和38年 | 増資により資本金1,000万円となる。 | |
昭和39年 | 八王子倉庫の土地(2,180u)及び建物を井田鰍謔闔謫セする。 | |
昭和40年 | 増資により資本金1,300万円となる。 | |
昭和41年 | 増資により資本金1,800万円となる。 | |
昭和42年 | 立川市栄町に鉄筋コンクリート造陸屋根4階建 延7,934uの倉庫を建設(現北立川倉庫) 増資により資本金2,300万円となる。 |
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昭和43年 | 増資により資本金2,600万円となる。 |
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昭和44年 | 立川市栄町に鉄筋鉄骨コンクリート造陸屋根地下1階地上3階 延3,306uの倉庫を建設、内一部を配送センターとして使用する。 増資により資本金2,800万円となる。 立川市栄町4丁目の土地852uを取得する。(当初塩蔵倉庫使用の簡易倉庫用地として使用 現トランクルーム用地) |
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昭和46年 | 立川ビルディングの大増改築を行い約33,000uの面積となり、高島屋立川店が入居する。 (鉄筋鉄骨コンクリート造地上8階地下1階) 立川市曙町1丁目に岩ア不動産鰍ニ折半にて2,100uの土地を取得、月極駐車場として使用する。 立川市栄町4丁目の土地3,968uを取得する。(栄町倉庫用地) 立川市栄町に鉄骨鉄板平屋建2,314uの倉庫を建設(現栄町倉庫) |
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昭和47年 | 立川市錦町5丁目の土地2,411uを取得、賃貸駐車場として使用する。 増資により資本金3,920万円となる。 |
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昭和54年 | 錦町支庫立川市の南口区画整理事業により取り壊し、月極駐車場として使用する。 | |
昭和58年 | 吉祥寺駅北口の武蔵野市吉祥寺本町1丁目の駐車場を廃止し、岩ア吉祥寺ビル建設工事を着工する。 | |
昭和59年 | 岩ア吉祥寺ビル竣工、テナントとして日本長期信用銀行吉祥寺支店外11社が入居する。 (鉄筋鉄骨コンクリート造地上8階地下2階 延7,700u) 岩ア吉祥寺ビルの管理会社として岩ア吉祥寺ビル株式会社を設立する。 八王子倉庫老朽化により取り壊し、月極駐車場として使用する。 |
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昭和60年 | 有限会社富士見運送を買収、富士見運輸倉庫株式会社を設立する。 | |
昭和62年 | 立川市錦町の月極駐車場を廃業、岩ア錦町ビル建設工事を着工する。 | |
昭和63年 | 岩ア錦町ビル竣工、学校法人高宮学園代々木ゼミナール立川校が入居する。 (鉄筋鉄骨コンクリート造地上7階地下1階 延4,205u) |
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平成元年 | 立川ビルの所在地を含む立川駅北口駅前の土地区画整理事業が都市計画決定される。 | |
平成 2年 | 立川駅北口駅前の区画整理事業の事業計画が決定される。 | |
平成 5年 | 立川市栄町の塩蔵倉庫を取り壊した後に岩ア栄町トランクルームを建設する。 (鉄筋コンクリート造地下1階地上2階一部3階 定温・低湿倉庫) |
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平成 6年 | 八王子駐車場の隣接地704uを取得、月極駐車場として使用する。 立川ビル所在地の仮換地の指定がおこなわれる。 立川ビルより高島屋がファーレ地区内の新店に移転、その後を立川市が賃貸する。(平成9年6月迄) |
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平成 8年 | 関連会社玉川塩業株式会社が塩業情勢の変化による塩元売業の近代化促進策に伴い廃業、当社の塩元売捌業務も廃止に至る。 |
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平成 9年 | 立川ビルを区画整理事業の進捗に伴ない解体、本社も移転する。 八王子の月極駐車場の営業を廃止、岩ア八王子ビルの建設が始まる。 営業部門は流通機構の変化・問屋の集約化等の中で今後の営業が困難なことにより廃止となる。 生命保険の募集業務を開始する。 武蔵米穀卸鰍ヘ平成7年の新食糧法施行以後の生産・流通の変革により今後の営業が困難なことにより営業停止、当社にて残務整理を行う。 |
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平成10年 | 岩ア八王子ビルが完成、野村不動産鰍フ運営によるスポーツ施設メガロス八王子エグザスが入居する。 立川ビルの跡地にて地鎮祭が執り行なわれ、当社他9者による立川共同ビルディングの建設が始まる。 |
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平成11年 | 区画整理事業により飛び換地された土地に当社他4者による岩ア共同ビルディングの建設が始まる。 | |
平成12年 | 立川共同ビルディング及び岩ア共同ビルディングが完成する。 | |
平成13年 | 伊勢丹をキーテナントとし、野村證券他が入居し立川共同ビルが開業する。 4〜8階を駐車場とし、1〜3階にオリオン書房他の物販店が、9〜10階にスポーツ施設としてメガロス立川エグザスが入居し岩ア共同ビルが開業する。 本社岩ア共同ビルに移転する。 |
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平成15年 | 立川市錦町5丁目にコムスン立川ホーム(地上2階鉄骨造)が完成、潟Rムスンが、老人介護施設として入居する。 立川市栄町の一部配送センターとして使用した倉庫を取り壊す。 |
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平成16年 | 立川市栄町の配送センター跡地に地上2階建鉄骨造の貸店舗が完成、潟Vモジマがプロパック立川店として入居する。同一敷地内に富士見運輸倉庫鰍フ事務所も完成する。 | |
平成17年 | 立川駅北口駅前の区画整理事業が終了、換地処分により新番地にて登記完了。 | |
平成18年 | 岩ア錦町ビルより学校法人高宮学園が撤退、内部を事務所ビルに改装し、テナント募集を始める。 | |
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